三日坊主まであと一日です。
「続けることって難しい…」と、よく言いますが…
「やること」は難しくないんですよね。だって…
- 一回はできて、
- しかもやり続けられると思えて、
- 続け始めたこと・・・なんだから。
だから…
続けること = 難しい
と、いうのには違和感を感じます。結局…
続けないこと = 重要でない(と思える)こと
でしかないと。そこで、どうして重要でないことを続けようと思ったか…ということになるんですが…
続けることで得られることに価値を感じ、「やり続けよう」としたはずで…
つまりこういうことでしょうか?
そもそも重要なことかな?…と思ったけれど確信が持てないまま取り掛かった。そして案外できた…少し続けたところでそれほど重要でないと思えてきた(理由は様々)。ところが、何らかの方法で人に続けると話してる手前、一貫性のない奴だと思われたくない。
だから「続けること自体」が難しいかのような表現」になっただけ…
実際は、興味を持ったことに素早く取り組み、判断力で方向転換しただけ…
勿体無いことがあるとすれば、本当は当初の関心事が、真に価値のあることだったとしたら…という点でしょうか。
自分の判断以外にその先について知らしめてくれる何かが「運命の分かれ道」ということでしょう 。何でしょう…
友人だったり、家族、師匠、メンターなど隣人であったり、壮大な景観、映画、本…ただ、それらが良い方向に導いてくれることもあれば真逆に作用することも…
こういう時に経験や知識でカバーできない範囲を導いてもらえる良きアドバイザーや専門家の存在って重要ですね…と同時に、(全くのパイオニア的な事柄は別として)今の自分からの将来像となりうる人の存在・・・。などと、汗だくで思った土曜の朝。